今回は「脳の不思議」に迫るお話をしていきます。
突然ですが、質問です。
みなさんの学生時代に
授業でおもしろい話をする先生っていましたか?
授業内容とは関係のない雑談話。
わたしが高校生のとき
英語の先生の話がいつもおもしろかったんです。
雑談が面白くて授業を聞いてました。
ただ、
話がおもしろかったっていう記憶はあるんだけど
その話の内容は全然覚えてないんですよね。
話がおもしろかったっていう記憶だけは残ってるんだけどな~
だけど、
唯一
ひとつだけ
たったひとつだけ
今でも忘れられない話があって、、、
ときどき、なぜか思い出すんです。
この不思議なおはなし。
先生は駅のホームで電車を待っていました。
すると、
線路に大きなダンボール箱が落ちてるのが目にとびこんできました。
不思議に思って見ていたら
周りの人たちが慌てた様子で
そのダンボール箱を取りに行くんですよね。
まあ、それは当たり前ですよね。
だって、
線路にダンボール箱が落ちてたら
電車が来るのに危ないですもんね。
でもその慌てた様子が尋常ではなくて
血相を変えて
ダンボール箱を引き上げる様子が
異様に見えたそうです。
そして
のちに先生は知ることになります。。。
そのダンボール箱が
ダンボール箱ではなく
人であったことを。。。
でも、
先生の目には確かにダンボール箱として映っていました。
ダンボール箱と人を見間違えるってどういうこと!?
って思いますよね。
これ、
見間違えたんじゃなくて
脳が「人をダンボール箱として判断した」
のではないかと、わたしは思っています。
先生の脳が
「線路に人がいるわけない」
と思い込み、
脳が錯覚を起こして
人をダンボール箱に見せるように書き換えた!?
という仮説がうまれます。
人の勘違いも
こういった脳の錯覚からきているものが
たくさんあるのではないかと考えています。
だから
常識・当たり前・思い込み・~であるべき
という思考で
ものごとや世界を見ていると
歪んだり、間違ったり、すれ違ったり、勘違いしたり、、、
ということにつながっていくのだと
確信しています。
「目で見たモノのすべてが真実ではない」
人それぞれ見えている世界は違う
ということを理解できると
相手と自分は見えている世界が違う
ということがわかります。
すると
相手のことを理解しよう
とする気持ちも自然とうまれます。
そして、
”常識”
”あたりまえ”
”ふつう”
というのを自分の中に固く作ってしまうと
なにか大事なものを見間違える恐れがある
ということです。
もしかすると、それは
あなたが意図しないところで
相手のことを傷つけているかもしれない
大切な人を失うことになるかもしれない。